« 洗うタイミングの見分け方は? | メイン | 取りに伺います。お届けにあがります。 »

2006年01月17日

11年前に

阪神淡路大震災が起きてから、今日で11年目を向かえたそうです。

早いものでもうそんなに立ったのかなあという思いと同時に、関西へ展示会などで行くたびに、復興の力強さや人の強さを感じた11年だったような気がします。

11年前、当時私はクリーニング学校へ通っていました。
クリーニング学校は、夜間の学校で昼間仕事をして、夕方から飯田橋で授業を受けていました。

もうすぐ卒業と言う時期に、地震が発生。

当時、私には西宮に同業の友達がいまして、とても心配をしていました。
クリーニング学校の同期だったのですが、家庭の事情から前期の途中で学校をやめて、実家へ戻っていってたんです。

学校を辞めた年の夏休みに、私は彼の実家へお伺いをしました。
授業の資料を届けるためです。
きっと必要なんではないだろうか?と思い、バイクで行ったのを覚えています。

それから5ヵ月後、地震は起きました。

何とか連絡が取れたんですが、やはりいろいろな物が足りないと言う話。
何かしなければいけない!と思いまして、クリーニング学校の同期の友達と一緒に、学校で募金を集める事にしました。

先生含め、事務の方々のご協力も頂きまして、10万円ほどのお金を集める事が出来まして、早速それを元手に必要な物を送りました。

水や薬、食事などが主でしたね。
意外と好評だったのが、お風呂のお湯を移すポンプ。

お風呂に入れなくて、シャワーも使えない。
それでも、お湯を沸かす事ができるので、簡易シャワーとして重宝したようです。

当時は、いろいろな方が協力してくださいました。
頼まれた薬を買いに行くと、薬屋さんの店員さんに事情を話していると、奥から山のような薬が。
全部試供品なのですが、ぜひ送ってくださいと言う、暖かいお言葉を頂きました。

また、あの頃は宅配便なども規制を受けていて、送る事ができるのは郵便局だけです。
しかも、重量が決まっている。
10キロまでだったので、お水を1ケース送れないんですね。
1本2リットル入りですから、6本入りで12キロ。
1本抜かなければいけない。
重量オーバーです。

決まりごとなので、仕方がないのですが、局員の方のご好意により、1ケースそのまま送って頂いたり。

この震災は、色々な思い込みを覆すものでもありました。
震災にあうと、物がないだろうとか、食べ物が必要だろうとかそういった考えをしていましたが、現実は違いましたね。
食べ物は山のように来るんですが、それを配る事が出来なかったり、食べ物だけでなく、おトイレやお風呂など生活全般に渡る物が重要だと分りました。
また、何もないと思っていたのに、実際はお金さえあればなんでも手に入る状況だったようで、少し立つと物よりもお金のほうが良いと言うことも分りました。

また、これも思い込みなんでしょうが、洋服など捨てるような物を送ると言った行動も目立ちましたね。
何にもないんだから、使えれば何でもいいんじゃないか、と言うのがあったのでしょうか。
これも大きな勘違いで、被害にあってはいますが、路頭に迷っているわけではなく、普通に生活しているんですね。
物を送る時は、相手のことを考える必要があると学びました。

あれから11年。
まだ11年、
もう11年。

色々な捉え方があるでしょう。
でも、前に進んでいかなければいけませんね。
あれから組まれた震災対応のシステムも、技術の進歩などでまた新たに見直す必要があるかもしれません。

日頃使わない物だからこそ、何か起きた時にちゃんと使えるように、点検しておかないといけませんね。

阪神淡路地震で亡くなった人のためにも、生かしていきましょう。

投稿者 boribori : 2006年01月17日 23:40

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.idcg.jp/blog/mt-11921-tb.cgi/392

コメント

コメントしてください




保存しますか?